世の中がよくなったというのか芸人の品位が向上したというのか、席亭もこのごろはずい
ぶん気が楽になりましたが、大正の初期、ことに三年から四、五年ごろにかけてはまったく
寄席は泣かされましたよ。芸人仲間にバクチがはやって、バクチが始まったら席を抜くなん
か平気の平左で、それも芸人だけならまだしも席亭の主人までがいっしょになってやってい
て、芸人が「もう高座の時間ですからわたしはこれでやめて・・・・」なんて立上がろうと
すると席亭の主人が「いいよ、いいよ、抜いちまいなよ」なんてこれでは法がえしがつきま
せん。
忘れもしません大正三年の五月の雨の日のことです。わたしンとこで圓右と小南の二人看
板で、古典の圓右に当時日の出の勢いの小南、それに雨降りと来ているので場内びっちりの
入りです。が、圓右がなかなか楽屋入りしません。このころの圓右はひどいバクチ好きで、
またどこかでやってるに違いないが、いったいどこでやっているのか場所がわからないので
迎いにもいけず心配していると、お化け横丁(下谷同朋町)のある待合の二階で開帳してい
るという情報が入りました。
楽屋の者なんか迎いに行ったってとても帰って来る人でないので、雨の中をしりっ端折り
でわたしが迎いに行って、玄関から「圓右師匠いるかッ」と大声で呼ぶと、みんなが夢中に
なっているから手でも入ったと思ったんでしょうね。どやどやと二階からかけ降りた真っ先
の人間を見ると、これが神保町の川竹亭の主人なんです。
いくら気が立っていてもこれが圓右だったらわたしも手荒な真似なんかしなかったが、芸
人がやっていたら止めなくてはならない席主が先に立ってやっているんで、カーッとなっち
まった。あとさきの考えなく川竹を殴ってしまったので…
悪いときは悪いもンで、ちょうどそんとき、その待合の奥の何処か二流新聞の探訪記者が
来ていて、あくる朝の三面に---圓右バクチを打つ--なんて記事が出て弱っちまいまし
た。そのうえ川竹を殴った科で池之端の料理屋へ二十何人も呼んで仲直りをしたり、いやも
うひどい目にあっちゃいました。それもこれも血の気の多かったころの話で、いまだったら
殴るどころかこっちがあべこべにのされてしまいます。
バクチでは面白い話があります。バクチのことを楽屋では”モートル”といっていますが
先代の可楽という人もたいへんバクチが好きで可楽のとこへぜん馬が遊びに行って
「大将は・・?」というと可楽のかみさんが「いま奥でモートルをやってますよ」「そうで
すかい。大きいんですか、小さいんですか」「うちの人のモートルですもの。どうせ大きい
のなんかできませんよ」
そのとき可楽のかみさんと茶をのんでいたのが近所の電気屋のおかみさんで「おや、モー
トルは小さいほうが値がいいんですよ」うちの人に頼んで売ってあげるから持ってらっしゃ
いよ」といったってんですから、まるで落語です。
写真は若いころの三遊亭円右