講釈師見て来たようなウソ

  春輔という芸人が読切りをやることになりました。読切りといってもみなさんご存知ない でしょうが、これは芸人が病気をしたとか、家族の者に不幸があったとかして金の入用がで きたとき、仲間の芸人が無報酬・・・・・またはほんの車代で出演して金をこしらえてやる もので、春輔の読切りに出てくれる予定だった小勝と貞山が、会の前の日になって座敷の都 合で出てやれなくなった、どうか悪しからずと断って来た。
  面食らったのは春輔で、せめて二日前だったら何とか代りもこしらえられるが前の日では どうにもなりません。いかに自分の商売が大事だからって、あんまりひど過ぎると、うらん でばかりいたってどうしようもない。まず小勝、貞山の穴埋めをこしらえなくてはと、その とき春輔の頭に浮かんだのは伯山です。
  が、伯山といったら当時飛ぶ鳥落とす人気。とてもわれわれの読切りになんか出てもらえ ないと思ったが、とにかく浅草の宅へ行くと、ちょうど伯山は神だなにおがみを上げている 時で、春輔が茶の間のすみで小さくなっているとやがておがみを上げ終わった伯山が「イヤ 春さん、お待とう・・ところでおれはいつごろの時間にスケれば(参考1)いいんだい?」 と、春輔がまだ一言も言わないうちにちゃんと読切りを頼みに来たことを見てとっていたと いうんですから、ここらが苦労人のカンというんでしょうね。
  で、十日間毎晩キチンとスケてやって、十一日目に春輔が「これはほんの心ばかりのお車 代ですが」と届けると「そうかい、それはありがとう」ときれいに受取って、あらためて春 輔に「春さん、これはお祝いだよ、取っときな」とノシをつけてやったんですから、ちょい とした次郎長です。
  一事が万事、伯山というひとはさっぱりしたいい芸人でしたが、たった一つわたしに不服 があります。それは降るアメリカにそではぬらさじの例の喜遊おいらんの話を伯山がやって --いまに千住の何々寺にのこる喜遊の墓は無縁同様の哀れさで・・・・としゃべったのを 客席にいた忍ケ岡実科女学校の津谷先生が--遊女とはいえそれほどの女性が無縁同様にな っているのは気の毒だから、お線香でもあげに行きたい、いっしょに行ってくれっていうん で、うち(鈴本亭)へはよく聞きにいらっしゃる顔なじみの先生なので、古いことでお寺の 名前は忘れましたが、伯山のいう千住の何々寺というのを探しましたが、そんな寺なんかあ らばこそ。
  あとで伯山に尋ねたら「だんなも正直だなあ。長年寄席をしていて講釈師見て来たような ウソをつきというのを知らないんですか」とあべこべに笑われたが、わたしは、下っパの芸 人ならともかく、神田伯山ともいわれる一枚看板が、ウソをしゃべるのは不都合だとこのと きもさんざんいいました。
  そこへいくと圓朝という人は”安中草三”なんてはなしをこしらえるのに伊香保に立てこ もって、はなしの中に出てくる松の木一本から小川の流れ一つに至るまで実地に調べて、ウ ソがなかったというから大したものです。

●(参考1)スケる:助演すること。

写真は円朝作「安中草三」の錦絵(国周筆)