芸人とお客が昔はなごやか

  どうでしょ?わたしはちがごろこんなことを考えるんですがね。どうもこのごろは高座と客席が、つまり芸人とお客がしっくりいってないような気がして…。昔は何か親類づきあいをしてるような、なごやかな空気が流れていたもんでした。
  芸人にあだ名をつけるなんかもその現われの一つで、どろぼうの朝枝、あんぱんの文楽、かっぱの勝次郎、タヌキの小勝、しゃもの助六、おっとせいの左楽、などちょっと考えただけでもいくらもありますが、朝枝なんか高座へ上るとあっちからもこっちからも「どろぼうッ」「どろぼうッ」と大騒ぎで、ある時なんか寄席の横の路地を歩いていたポリスがこれを聞いて、泥棒と思って、寄席へ踏ん込んだなんて話がありますが、この朝枝という男「出来心」みたいな泥棒の話が得意なんで、高座へ顔を見せると泥棒物をやれという注文が客席から出るだけのことなんですが、でもどこか親しみがあって愛敬がありました。
  そこへ行くと、このごろの落語家にはそれがありませんね。それだけ芸人もお客も打ちとけなくなって、落語家は話をして笑わせればそれでいい、客は銭を出して笑って帰ればそれでいい、落語家にあだ名などつけるのは余計なこったと、つまりお客も芸人も理知的になったというのが本当でしょう。
  本名秋本格之助、御家人みたいな名ですが専大の小金井芦洲、この人はたいへんな酒好きで酒のために席を、それも独演会を平気で抜いちまうのだから大した豪傑です。ある時、客がいっぱい入っているのに芦洲が来ない、仕方がないので丸札を出して、まことに相すみませんが芦洲急病のため本日は、と断りをいうと客が、いい加減のこというなよ、さっき角の居酒屋でのんでいたぜ、だがいいや、またあした出直して来ようとおとなしく帰っていきましたが、今だったらそんなこと通用しません。
  この芦洲ですよ、独演会の日に酔って箱根へ行っちまって、席亭があわてて「スグカヘレ」って電報を打ったら「スグカヘル、キヤクヲマタセトケ」と返電を打ってよこしたっていうんですから、客を入れてから迎えの電報を打つ方も打つ方だが、その電報を見てすぐ帰るから客を待たせとけという方もいう方で、実に世の中ののんびりしていたことがよくわかります。
  芦洲で思い出しましたが、この人の弟子に小金井一葉というのがあってこれがやっぱり師匠に劣らぬ酒のみで、酔って上野の山で菊の御紋のついた提灯を破っちまいました。
  昔だから大変です。上野署へ引っ張られてお取調べというとき、時の署長がこの提灯を見て、これは正面から破ったものではなく、裏側の無地の部分を破ってあとでよく見たら、表に御紋章があったというのじゃ、のう一葉、そうじゃのう、ヘエ、さようで…というわけで一葉無罪になったというんですが、とんだ大岡様で、こんなイキな署長が昔はありました。
  とりとめもないことをおしゃべりいたしまして、長々とおつきあい下すってありがとうございました。ではこのへんで…。

写真は“さようなら皆さん”の鈴木孝一郎老人