大道芸人上がりの江戸家猫八

  長いこと虫の息だった寄席演芸界も、満州事変のぼっ発でいくらかキヤキヤと景気が出か かって来たんじゃないかな、と思われるころ、放送局から、もちろんいまのように民間放送 なんてもののないNHKだけの時でしたが、寄席中継の話がわたしんとこにありました。
  が、ちょいと迷いました。それは落語を放送することの寄席に及ぼす功罪…って のも大げさですが、とにかく同業に一応相談してということになって相談すると、果せるか な、放送なんかされたら寄席へ来る客がなくなっちまう、というのと、なにそうでない、こ んなおもしろいもの、いったいどんな顔をして話すんだろうと、かえって寄席へ来る客が多 くなるというのと賛否相半ばしましたが、結局押切って中継すると大成功で、世の中もよく なりかけていたのでしょうが、これをきっかけに寄席はだんだん復興の緒につきました。
  芸人もまた一回放送すれば四十円ぐらいもらえるんですから、前回申上げた浅草金車亭の 十日間で三円、一日三十銭パの給金をもらっていたことを考えると、まるで夢のようだった にちがいありません。
  このころですよ、三代目小さんが縁日の薄暗いところで人を集めて鈴虫の鳴き声やこおろ ぎの鳴き声をやって、群集からゼニをもらっている半身不随の男を見て、これを寄席に出し たらきっとウケるにちがいないと、寄席へ出して見ると、これが図星で、めずらしいのでた いへんウケました。これが江戸家猫八で、いまの猫八のおとっつぁんです。
  片市の弟子で市之助っていう女形だったのが鉛毒で体がきかなくなり、器用で習い覚えた 物真似と、一つでもまんじゅうとはこれいかに?半分でもせんべいというがごとし… なんて即席問答で、猫八が即答に詰まったら白米1俵進呈しますってふれ込みでかなりウケ ていました。
  屋号に江戸家とつけるくらいだからたいへん江戸ッ子を売りものにして、巻舌で毒舌を吐 いていましたが、実は江戸ッ子でもなんでもなく栃木県の産で、しかも毛なみはなかなかよ く、それでなくても人間というものは、今でこそこんなしがない芸人をしているが、おれの 実家は百万長者で…なんてとかく言ってみたいものですが、猫八の親類には土地でも 指折りの素封家が何軒かあるのにそれをオクビにも出さず、おれは大道芸人あがりの風来坊 さと言い通していたんですからエラいと思います。
  これも落語界の奇人といわれた蝠丸が、あるとき猫八に、おめえ江戸家なんて屋号をつけ て江戸ッ子を売り物にしているが、実は栃木の生まれだっていうじゃねえかっていったら、 あの鼻ッ張りの強い猫八が拝むようにして、すまねえがおれの生きてるうちだけ江戸ッ子に しといてくれよ、その代りあとで一パイおごるからっていったら蝠丸が、そうか、では江戸 ッ子にしといてやるから一パイのませるんだぞと、ほんとに焼鳥屋へ行ってショウチュウを おごらせたというんだから、ひどいやつがあったもんです。

写真は豪華な猫八のビラ