風変りなノセモノいろいろ

  東京市十五区の中にひところ二百七、八十軒からあった寄席は義太夫、講釈、浪花節の常 席が大部分で、落語席なんかはほんの少しでしたが、それがどうしてこんなに少ないながら も落語の定席だけが残っているのでしょうか。それは義太夫、講釈、浪花節にはノセモノが ないからです。ノセモノといったってお判りになりますまいが、つまり本芸のほかの、たと えば漫才とか曲芸とか手品とかいったもので、落語席の方には、仮に昔の十高座くらいしか ない時でも落語が七高座だったら、ノセモノが三高座くらいはあったので、高座の色どりに 変化があって、いろいろ苦しい波にもまれながらも落語席がどうやらこんにちまで保ってい られたのは、そのためだと思います。
  ですから寄席業者もいろいろ頭を使って、ノセモノにはいろんな芸人を引っぱって来まし た。手踊りの英国人ジョンペール、舶来人情ばなしのブラック、義太夫のヘンリー・ペロッ ト、珍芸のジョンデー、名前は忘れたが都々逸やさのさをやる白系露人の姉妹、支那体技の 張来貴、奇術の李彩といった人たちで、片言まじりの日本語でウケたものです。
  が、ひとたび高座をおりるとふだんは歯切れのいい巻舌かなんかで、家ではどてらに三尺 をしめ、日本人のかみさんなんか持って、中には吉原の女郎を落籍して、二号にしてるのさ えありました。
  ノセモノの変ったところでは、ひところ泥棒がさかんに高座へ上った時代があります。 もっともこれはめずらしいことではなく、前にお茶の水のおこの殺しの松平則義、箱丁殺し の花井お梅、出歯亀なんどと刑余の人が寄席へ出た例はありますが、芸をやって見せるのは 花井お梅ぐらいのもので、あとはみんな素顔を見せるだけの他愛ないもので、悪いことをす れば必ず捕えられて獄舎の生活をしなければならない、みなさん決して悪いことをしてはい けませんよ、とザンゲを高座から呼びかけるということでその筋の許可になったものですが いろんなのが現れました。
  前科十四犯の義賊明治小僧、イカサマばくちの馬関寅、比較的近くは説教強盗の妻木松吉 など、明治小僧は宿屋へ泊めるのがたいへんなので、西片町のわたしの家へ寝泊まりさせて おきましたが、大泥棒を座敷飼いにしておくようなもので、あんまりいい気持じゃありませ んでした。大酒くらいで明けても暮れてもうちの魚屋から刺身をとって朝から一升酒をやっ て、あげくに満州だか支那だかへ行っちまいましたが、いやもうわたしンちにとってはとん だ義賊で…
  馬関寅はサイコロを一升も高座へ持出してイカサマばくちの実演をしていました。こうい うイカサマがあるのだから決して勝てるものではありません、バクチはおやめなさい、とい うのです。
  妻木松吉がちかごろの世相を評して、まったくけしからん世の中になったものだ、このご ろの強盗ときたらモノを取るより殺す方が先なんだから、強盗道もまったく地に落ちたって なげいてましたが、強盗の家元が驚き、かつなげくんですからとんだ大笑いで、よほどけし からん世の中になったものと見えます。

写真は出獄直後の花井㊤と妻木松吉