書生に大人気、娘義太夫綾之助

  芸がずばぬけてよくて客が呼べないのは円喬ばかりでなく、落語と限らず何の芸人にもそ ういうのはあるようです。
  たとえば娘義太夫がそうで、一時天下を風びするといってもいいくらい人気のあった娘義 太夫の中にも、スルスルと御簾(みす)が上がったとたんに高座がパッと明るくなるような 芸人もあるし、それと反対に陰気に見える芸人もあります。綾之助、朝重、小清、昇菊、昇 之助なんて、いやもう実にきれいで、明るくて、あれじゃ書生さんたちが人力車の後押しを して寄席から寄席を追っかけて歩くのも無理ないと思いますね。
  それに引かえて 司なんて人は、芸にかけては前にいった芸人のだれ一人として足元へも 追っつかない名人で、聞いていると芝居を見るよりよっぽどおもしろいくらいですが、それ でいて客が呼べないんですからどうしたわけですかね。ちょうど円喬とそっくりです。
  綾之助と慶応の学生石井さんとの仲は有名なもので、思いを遂げていっしょになり、石井 さんは足利の機業会社の顧問かなんかになって羽振りがよく、綾之助も高座を退いて堅気の 奥さんになりましたが、石井さんが相場に手を出して失敗したので、綾之助はまたどうして も高座へ返り咲かなければならないことになって、わたしに話があったんで本郷西片町の鈴 本へ出てもらいました。
  さあ、あのころもう四十くらいになっていましたかね。でもすばらしい人気で戸を閉める ほどの大入り、それでも入れろと表戸をこわされるほどの騒ぎでした。綾之助なんか、今で いうとブロマイドですか、名刺型の写真まで発売されて、書生さんなんか心ひそかにはだに 温めていたもんだそうですが、晩年はあんまりしあわせではなかったようです。
  娘義太夫とかぎらず総じて女の芸人の寿命は短いようで、とりわけ美人はすぐパトロンが ついて消え方が早いようです。
  パトロンで思い出しましたが、新橋の名妓ぽん太も鹿島清兵衛さんというパトロンがつい て落籍されましたが、晩年はやっぱり鹿島さんを 引いて自分で高座へ出ました。このぽん 太でおもしろい話があります。
  貞山、小勝、三語楼、筑風、ぽん太という顔ぶれで北海道へ巡業に行ったとき、ぽん太だ けは鹿島さんがいっしょなので宿屋も一部屋だけみんなと別だったんです。それもいいんで すがある晩のこと、ぽん太夫婦の部屋で異様な物音がするので、それでなくても冷たい自分 のひざを抱えて寝ている独り者の岡焼き手合いが、三語楼を先導に抜き足さし足、夫婦の部 屋の前まで老化を四ツんばいになって偵察に出かけ、指先をツバでぬらしていままさに障子 へ穴をあけようとしたとき、夫婦の部屋からドラネコが一ぴきパッと飛び出しました。
  なんと、宵のうちに夫婦がライスカレーを食べてそのサラを部屋のすみへ出して置いた。 それをネコが入ってピチャピチャなめていたことがわかったというんですが、いやはやどう も…

写真は当時出された綾之助の名刺型ブロマイド