落語家と限らず役者でも歌うたいでも、仲間うちでは実に巧い芸人だとほめられても、客
にはちっともウケない人もあれば、はなしは少しも巧くないのに、妙に客に人気のある芸人
もあり、こればかりはどうもしかたがありませんが、橘家円喬という人は仲間うちからも、
客からも実に名人と折紙をつけられるほどの人で、ことに「鰍沢」(かじかざわ)なんかは
天下の絶品とされ、いまの文楽が若いころ円喬の「鰍沢」を聞いたばっかりに、いまだに
「鰍沢」を高座へかける気持になれないというくらいのもの。
芸にかけてはそれほどの名人ですが、それでいてどうしたことか客の呼べない人でした。
ちょうど桂小南なんて人と正反対で、小南って人は大坂落語の、電気仕掛けで踊りかなんか
踊って高座は明るかったが、はなしを聞いたんではてんで魅力がなく、こんな芸人のどこが
いいのかと不思議に思うくらいでしたが、それでいて割れ返るような人気なんだから、まっ
たく考えてみてもおかしなようです。
円喬のはなしをさんざ聞いて、昔の客は世辞がなかったから帰る時に大声で「こんちきし
ょう、はなしはうめえんだけど、どうも虫が好かねえ」なんていってましたが、天二物を与
えずってのは、ここらのとこをいったものでしょうね。
いまの松永和風が芳村孝次郎といって、孝次郎節なんていわれて大評判のころ、わたしん
とこの高座へ出しました。天下の孝次郎を寄席へ出すんですから、わたしとしてもノルかソ
ルかの一六勝負で、もちろん孝次郎は売りものですから、いちばんおしまいの高座にし、孝
次郎の前へ円喬を出しました。
さて当日になるとさすが孝次郎はすごいもので、帝劇へでも行かなければ聞くことのでき
ない孝次郎節の長唄が寄席で聞かれるっていうんで、割れ返るような入りです。
番組は順調に進んで、高座はあとは円喬とお目あての孝次郎だけというところへきて、高
座へ上がった円喬は、まず芸人の礼儀としたら追い出しの孝次郎の高座にさわらないよう、
あっさりとしたはなしで下りるべきですが、これがどういたしまして、はなしの題は何ん忘
れましたが、三十分たっても四十分たっても高座をおりません。楽屋で出を待っている孝次
郎より、わたしの方が気が気でありません。今のように交通機関は発達していないし、自動
車があるわけではなし、まごまごしていたら電車がなくなっちゃいます。
いつもの地元の常連ならいくらおそくハネても歩いて帰れますが、孝次郎の人気で遠くか
ら来ているお客が多いんで、あんまり遅くなったら帰れません。気をもんでいると円喬は延
々どうです、五十五分もしゃべってやっと高座を下りました。
これがいい加減の芸人だったらこの長い時間をとても持ち切れるもんじゃありませんが、
そこは仲間でさえ舌を巻く名人です。この長帳場を客にあくび一つさせず、ダレさせず、サ
ゲまで持っていったんだから大したものです。
が、そこが円喬の欠点であり人に好かれなかったとこで、ようし、孝次郎を売りものにす
る量見なら一つうんと困らせてやろうというんで、ある腕にモノをいわせて孝次郎の時間を
削ったというわけで、孝次郎が得意の「越後獅子」を終わったら、かれこれもう十二時近く
になっていました。
写真は若いころの橘家円喬