みそかに独演会をやった元祖は三代目小さんですが、小さんが独演会をやると二束(二百
人)から二束五十の客が来るんだから、これも小さんと相伯仲するほどの圓右と二人会にし
たらさぞ客が来そうなものだが、これがそうでなくて、一束五十くらいしか来ないんだから
まったく不思議です。美男美女の夫婦の間の子だからどんなきれいな子が生まれるかと思う
と鼻ペチャのオデコの子が生まれるようなもので、理屈外の理屈とでもいうんでしょう。
小さんで思い出しましたが、昔の客はシャレてましたね。八丁堀の寄席へ小さんが出た時
の話ですが、そう申してはなんですが、昔の八丁堀というとあんまり豊かなお客は少ない土
地でして、ここでまあ小さんがトリに「子別れの上」をやったと思召せ。高座をすませて楽
屋口を出て来ると、傍へ寄るとプーンとくさいような服装をした、いま下足をとって出て来
たばかりの客が、ネー小さん師匠、紙くず屋の長坊はやめておくれよ、おれは紙くず屋で名
前が長太郎ってんだ、師匠が高座で紙くず屋の長坊、長坊っていわれるたびに、気が悪くて
かなわねえ…と、紙くず屋の長坊ってのは「子別れ」の主人公の大工の熊の相棒で、
あんまりいい役じゃありません。
小さんが恐縮して、どうも相すみません、明日から決してご当地では「子別れの上」はや
りませんしいうと、長さんが、なにやったってかまわねえんだよ、ただ紙くず屋でなくて、
金満家の長坊かなんかにしてくれよ、と腹巻きのどんぶりから五十銭玉を出すと、これ祝儀
だ、とっといておくれと小さんにくれたっていうんですが、いいじゃありませんか。五十銭
といえばそのころでは大金です。それを失礼ながらしがない紙くず屋さんが、天下の小さん
に祝儀にくれようっていうんだからうれしい話で、小さんは裕福な客からもらった数千金の
祝儀よりもうれしく、長くこの五十銭玉を使わず持っていたそうです。
小さんという人は、ちょいと見ると暗がりから牛を引き出したような鈍物然とした人でし
たが、どうしてどうして、神田立花の老主人が亡くなるとき小さんの手を握って、おれがな
いあとはせがれを頼むよといった、それをいつまでも守って、立花亭のすぐそばにある商売
がたきの白梅亭へは生涯出演しませんでした。
震災、戦災なんてものがあったんで、小さん全集なんていまはもってる人もほとんどない
でしょうが、あれがあると大したものですがね。
圓朝という人にも全集があるが、この人のは高座と速記とが違っています。みんなに盗ま
れないように「塩原多助」にしろ「真景累ケ淵」にしろかんじんのところが抜いてあって、
それが全集になっているんですから意味がありませんがそこへいくと小さんのは高座のまま
を速記にとってちっとも出し惜しみをしていません。そんなところにも小さんの人柄がしの
ばれます。
写真は明治三十二年版“百花園”「子別れ」の挿絵(緑芽筆)