芸も人も立派三代目小さん

  こんなことをいったらしかられるかも知れませんが、わたしの知っている範囲の芸人の中 で、まず三代目柳家小さんほどの人はないと思いますね。いいえ、それは芸の巧い人はいく らもありますよ。また芸は大したことはないが人間ができているという人はありますが、芸 もよければ人間もできている、その点でまあ小さんほどの人はないんじゃないでしょうか。
  あれほどの人でぜいたく一つするでなく、清貧に甘んじて、晩年は気の毒な亡くなりかた をしましたが、おそらくあれだけの人物だったら落語家にならず政治家になっていても軍人 になっていても、何になっても成功していたと思います。息子に恵まれないで、息子の借金 を埋めるために一生懸命に働いたが、いくら小さんの名声をしても寄席や座敷のかせぎぐら いではどうにも追っつきません。どかんとまとまった金をこしらえるために、まだまだ働け る身をもって新橋演舞場で引退披露をしたのです。ほんとにもったいない話です。その時の 口上番付が…
  私事高砂やこの浦船を落語界へ乗出し候以来齢古稀に及ぶ今日までうどんやの長々と御贔 屓を賜り候事まことに千早振る神の恵み身にあまる幸兵衛と有難く、この辺がよき替り目と 存じ・・・・と自分の十八番のはなしの題をうたい込んで、この引退披露には岡鬼太郎さん 、小山内薫さんなんかもあいさつに出ていました。小さんのふだんの人柄がモノを言ってこ の引退興行は大成功でしたが、集まった金を息子に渡しながら「これだけあったら借金が返 せるだろ」というと、息子夫婦が「さあ、まだ少し不足ですね」といったんで、それを聞い て小さんはがっかりして、それがきっかけでボケちゃったという話です。
  加賀太夫が、小さんとこの嫁に会ったとき、どうだね、おとっつあん達者かねってきいた ら、ええ有難うございます、達者は達者ですけどすっかりボケちまって…といったの で加賀太夫が、そうだろうな、おめえさんたち夫婦のために長いことザルへ水をくまされた からな、ボケもするだろうよ、といったそうです。いずれにしても気の毒な晩年でしたよ、 あれだけの人でね。
  小さんは芸人にめずらしく中年ごろから朝顔と菊づくりをやって、この方でもひとかどの 本職はだしの腕前でした。親友の圓右が、三代目(小さん)はどうしてそんな隠居みたいの ことをやってうれしがっているんだいってきいたら、朝顔や菊はウソをつかねえからいいよ 、季節が来れば?引もなんにもなくちゃんと咲くもの、と答えたそうです。小さんらしいじ ゃありませんか。
  今とちがって昔はみそかというと掛取りやなんか忙しくて客が来ない。だから寄席は休ん だもんですが、一日でも空けておくのはもったいないと、小さんが初めて独演会をやりまし た。みそかの独演会の元祖は小さんで、それ以来みんなもやるようになりました。

写真は柳家小さんと引退の口上ぶれ