ビラに文句つけた高峰筑風

  名人会の看板を出せばそれは客は来ます。しかしこれは、この出演者だけが名人で、あと の芸人は十パひとからげのロクでもない芸人ですということにもなって、名人会をやること は寄席の自滅だってことはずっと前にも申し上げましたが、でもそこが何んとかのあさまし さで、客があんまり来ないと、つい顔のいいのをそろえて名人会をやってみたくなります。   わたしんとこで柳家小さん、新内の加賀太夫、筑前琵琶の高峰筑風の三人で名人会をやっ たことがありますが、三人とも後世に名を残すほどの名人ばかりで、筑風は映画女優高峰三 枝子のお父さんで、荒木(元大将)さんみたいな立派なヒゲをたてた、なかなかの美男子で した。
  名人会の初日に高峰筑風が、寄席の前に立って表掛りの看板を見ていましたが、そのうち にむずかしい顔をして木戸にいるわたしんとこへやって来て、きょうはこのままでいいが、 あしたからわたしの名前を下げビラにしてくれっていうんです。ハッキリそうはいいません が、筑前琵琶といえばその昔は殿上人がすさびにやった遊芸で、それだけに落語や新内なん かの芸人と並べて書かれたのではおもしろくない、というらしいんです。そのくらいなら落 語や新内といっしょに出なきゃいいんですのにね…
  まあしようがありません。芸人子供だ、いいなりにしてやろうと、さっそく下げビラを出 すことにしましたが、筑前だけ下げビラというわけにもいかないから小さん、加賀太夫もい っしょに下げビラにしましたが、あくる日になると、あたしが木戸んとこに立っていると向 こう側を高峰筑風が歩いています。歩きながらしきりと看板を見ているが、行ったり来たり しているばかりで楽屋へ入ろうとしません。
  おかしな先生があったもんだ。何だってあんなまねをしているのかと出て行って、先生、 どうしてそんなところを行ったり来たりしているんです?ときくと、どうも下げビラがおも しろくないんで、出演をやめようかと思って…と意外な返事です。下げビラがおもし ろくないって、どこが気にいらないんです?先生の注文通りちゃんと高峰筑風と書いて下げ ビラにしたじゃありませんかと、こっちも少しカチンと来ているからつっけんどにいうと、 高峰筑風はいいが高峰筑風の上に”宗家”と書いてないのがおもしろくないというんです。 このときはわたしもあいた口がふさがりませんでしたね。
  もっとも今の桂文楽が売り出しのころ、名古屋へ柳家三亀松といっしょに買われて行った が、名古屋へ着いて自動車で寄席の前まで行くと、看板に書いてある字が、三亀松の名より 文楽の名の方がほんの少し小さいというので、そのまま駅へ引返して、一日も高座へ出ない で帰って来ちまったという話があります。なかなかむずかしいもので、そんなこんなでわた しんとこでは、どんな名人大家が出てもみんな一様に連名ビラということにしてしまいまし た。

写真は高峰筑風